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日本の歴史と米の歴史の密接な関係

「日本の歴史と米の歴史の密接な関係」

稲穂イメージ

水稲農業が大陸から伝来した縄文後期から米の歴史は始まり、現代まで約三千年の時を刻むことになります。共同作業が必要な稲作は村という共同体を形成し、階層の分化、貧富の格差を生み出しました。

稲作の進化とともに日本各地にできた原始的な地域国家がやがて『日本』というひとつの国に統一される過程において、宗教祭祀権を持つ最高権威者のもとに米が集められる仕組みが作られました。その後日本では、米を所有することが権力を獲得することと同じと考えられるようになり、江戸時代の終わりまで、米は貨幣に準ずる役割を果たしながら時代の権力機構に管理される食物となっていくのです。

このように日本の歴史は米の歴史なしには語ることができないくらい、密接な関係があります。

古墳時代に始まった、米が税として徴収される制度は、江戸時代になると太閤検地によって改められた石高制によって各地大名が統制される制度へと移行し、農民は領主に年貢米を納めたり、米商人に売って換金することで生活をしてきました。そして明治に入ると農民も税金を貨幣で納める時代になり、米市場は貢租米流通から自由な商品米流通へと変化し、大いに活気づくこととなります。

初代・池山網次郎

「初代・池山網次郎」

初代・池山網次郎

そんな中、明治40年頃に初代・池山網次郎(通称幸助、文久3年生まれ)は農業を捨て、西春村字石橋(現・北名古屋市)で米の集荷業を始めました。「丸幸」という屋号で親しまれ、近隣の農家から米を集めては名古屋の米問屋に販売していました。
尾張北西部は木曽川の水と肥沃な濃尾平野を背景に農業や繊維産業が盛んであり、蚕の繭から採った絹を繊維工場に売るため、当時、西春村の農家の間では米づくりの傍ら、養蚕業が盛んに行われていました。その蚕のえさとなるのが桑の葉であり、周辺には桑畑が広がっていました。

昭和 年頃の西春集落と耕作地

創業期、幸助は馬車を使い、桑畑から桑の葉を買い集め、農家に売る仕事を兼業としていました。当時、米価は暴騰暴落を繰り返し、仕事は不安定になりがちでした。
そこで幸助は、米だけでなく桑の葉の集配も手がけることで、経営の安定化を図ったのです。

不遇な時代への突入

「不遇な時代への突入」

それから二代目・健次郎とともに、約10年間にわたり最も商売が盛んな時代を過ごしますが、大正10年に米穀法が制定されたことで米流通の間接統制がスタートし、米商人にとって不遇な時代へと突入します。大正12年に網次郎が亡くなり、昭和の時代に入ると、養蚕よりも食糧増産ということで桑畑も減少の一途を辿り、商売は次第に細っていきました。

店舗と住居(昭和25年頃)

米流通の統制への動きはその後もどんどん加速し、ついに太平洋戦争のまっただ中、昭和17年に食糧管理法が制定され、食糧営団の設立とともに従来の全ての米業者は整理統合されました。
政府が米を買い取る方式に移行したことで、米価と米流通が全面的に直接統制下に置かれる中、食糧営団に勤務していた三代目・幸夫は終戦とともに名鉄西春駅近くに設けられていた米配給所の責任者として異動になりました。

米殻店開業から大型精米工場建設への成長

「米殻店開業から大型精米工場建設への成長」

昭和30年頃の米の集荷風景

「有限会社池山米穀店」

昭和26年、食糧営団が改組されて名を変えた食糧配給公団が廃止され販売組織が民営化されると、幸夫は希望に胸を膨らませ、非農家の米購入家庭が密集する西春駅前に「池山米穀店」を開業しました。
昭和38年、西春村に町制が施行されると、西春町は名古屋市のベッドタウンと化し、人口が急テンポで拡大したため米需要も右肩上がりで、「池山米穀店」は一気に繁盛店への道を歩み始めました。その後、従業員も少しずつ増え、精米工場を増設。新たに米倉庫も建設して、昭和41年には法人化し、「有限会社池山米穀店」を設立しました。
昭和47年、現在の本社がある西春日井郡師勝町(現・北名古屋市)に大型精米工場を建設し、「株式会社ハナノキフーズ」が誕生しました。「ハナノキフーズ」の社名はその後「ハナノキ」と改称しましたが、社名の由来は愛知県の県木「ハナノキ」です。

昭和47年に操業を開始した本社工場

工場竣工の翌年には愛知県大型精米工場の指定を受け、標準米や輸入米、学校給食米といった政府管理米の精米業務に取り組むと同時に、新工場を軌道に乗せるため、新規取引先を開拓すべく外食業界やスーパーへの売り込みに奔走しました。
当時、同業者はスーパーをライバルとみなしており、当社の動きに対し業界から非難の声もあがりましたが、小売業から卸売業への転身という信念を貫き、一段と営業に注力、さらに外食向けに特化していきました。

時代の変化にともなった米商品製造販売業への転換

「時代の変化にともなった米メーカーへの転換」

時代は平成に入り、米流通自由化の流れの中で、競争はさらに激化の様相を呈し始めました。米小売の主役は従来型の米小売店ではなく、食品スーパー等の米売場となり、卸売業者の販売先も切り替わっていきました。そういったコメ・マーケットの変化の中で当社が図ったのは、精米工場の差別化でした。
平成14年にISO9001を取得し、自社の責任において自社の販売する「米」の品質水準を維持するための責任と権限の仕組みを確立するという意識を高めることにより、米販売業から米商品製造販売業へと転換を遂げたのです。

そして、平成18年。岐阜県瑞浪市に新工場を建設し、操業を開始しました。

平成18年に操業を開始した瑞浪工場

平成18年に操業を開始した瑞浪工場

入荷や精米など作業によって区域を分ける「ゾーニング思想」の採用など、「徹底した品質管理・安全・鮮度」をテーマとした最新の製造思想のもと、品質管理体制を強化してコメ・メーカーとしての機能を高めております。当社は、米の集荷業から小売業、卸売業、そしてメーカーへと4度の業態転換を経て、1世紀を生き抜いてきた歴史を大切にしながら、今後も社訓である『顧客第一主義』をモットーに、更なる成長を求め歩んでまいります。

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